文明開化で始まった?知っているようで知らない不動産会社の歴史



「衣食住」といわれるように、住む=家は、太古の昔から人間の生活には欠かせないものです。最初は洞穴や竪穴式住居(地面に浅い穴を掘り、その中に柱や梁、垂木で骨組みを作り、土や植物で屋根を葺いた建物)といった簡素な構造だった建物は、やがて建築技術の発展と共に「寝殿造り」「書院造り」など、住み心地のよいものとなっていきます。また、家屋だけでなく、家を建てる土地自体も権力の価値あるもの、さらに権力の象徴となり、武士の時代は恩賞や戦利品として取り引きされるようになります。

しかし、土地家屋を法律的に扱う「不動産会社」が現れたのは意外と遅く、明治時代になってからのこと。今も東京中央区に本社を置く、「東京建物」が日本で最も古い歴史を持つ総合不動産会社です。身近でありながら、意外と知られていない、不動産の歴史について紐解いてみたいと思います。



日本人と土地とのかかわり


米をはじめ、農作物が盛んに作られるようになった弥生時代、定住化が進み、人間は集団生活をするようになりました。農業の知識がある者、力の強い者は集落の族長となり、やがて上下の関係が生じます。集落も次第に広くなっていき、族長~豪族(土着し、その地方に勢力をもつ一族)が支配する「国」へと変わっていきました。豪族は領地拡大のために隣国と争い、その頂点に立った大和朝廷(「大和王権」「ヤマト王権」という表記も使われます)と周囲の有力豪族が土地支配=私有化を強めます。

その後、「大化の改新の詔」の発布(大化2年(646年))によって、豪族の私地(田荘)や私民(部民)を公収、田地や民はすべて天皇のものとする「公地公民制」へと変わります。しかし、奈良時代の天平15年(743年)に制定された、「新しい土地を切り開けば、ずっと自分の土地として所有できる」という「墾田永年私財法」により、公地公民制は崩れ、貴族や大寺院、豪族、武士などに私有化されていくのです。

「一生懸命」。実は「一所懸命」?


平安末期、平氏との覇権争いを制した源氏の棟梁で征夷大将軍の源頼朝が日本をおさめ、武士の時代へと移り変わっていきます。この頃、手柄を立てた武士に与えられる恩賞は「土地」でした。また、地方武士たちは自分の生まれ育った、先祖由来の領地をとても大事にしていたのです。そのため武士は常に「自分の所領を命がけで守り抜く覚悟」を持っていました。ここから生まれた言葉が「一所懸命」で、また「一生懸命」の語源でもあります。かつては生(命)より所(土地)が大事だったということのなでしょうか。

戦国時代になると武将の覇権争いに伴い、土地は勝った武将の戦利品として流動的なものへと変わっていきました。それに終止符を打ったのは豊臣秀吉の「太閤検地」、そして1603年(慶長8年)、徳川家康が創設した「徳川幕府」です。特に幕府の統治下にあった江戸時代は、町人地(武家、寺地以外のエリア)の私有が可能になります。また商業が発展。それによって、征夷大将軍(徳川将軍)の住む江戸をはじめ、各地の都市部に人口が集中します。店で働く人間も増えますから、彼らのための住居が必要になるわけです。中でも江戸の町には、土地を買った(持っている)地主や商人といった富裕層が潤沢な資金を元に、数多くの「長屋(今でいう賃貸住居)」が建てられます。長屋の管理、や店子(住人)の面倒をみたのは「大家(大屋)(差配人、家主、家守などとの呼ばれる)」で、彼らは自身番に詰めて保安、警備の仕事も請け負いました。この「長屋」の仕組みが、現代の不動産業の基礎となったのです。



華麗なる一族?が設立した不動産会社


江戸時代には、長屋のような「借家」はあっても、借家や借地を仲介するという習慣はありませんでした。「不動産」という言葉が生まれ、「不動産業者」が登場するのは明治時代になってからのことです。「不動産」という言葉の由来ですが、

◎明治初期の法律編纂時、フランス民法を直訳した言葉(誤訳したとも言われています)
◎「和蘭邑法」(オランダ)を直訳して生まれた言葉
◎ラテン語の直訳

といった説があります。明治政府は近代国家としての知識を得る際、フランス・イギリスー・ドイツ・アメリカほか、欧米の技術や法律、政治を参考にしたそうですから、フランス語かオランダ語が有力だといわれています。

江戸時代、公的な役割を担っていた大家、差配人は地主の不動産経営を代行する私的職業となり、明治31年(1898年)の民法施行までには、「大家は親も同然」といった家族的な貸借関係は失われていきます。なお、現在の不動産登記制度は、明治32年(1899年)から始まっています。

民法施行の少し前、明治29年(1896年)、今も営業を続けている「日本最古の不動産会社」が創設されました。それが、現在まで社名も同じ「東京建物」です。創設者は、富山県富山市出身の実業家・安田善次郎。足軽の子として生まれ、江戸へ奉公に出た善次郎は、玩具商を皮切りに、海産物・両替商、唐物商を経て独立。露店銭両替商「安田屋 (のちに安田商店と改称) 」を開業します。彼は優れた商才を発揮し、安田銀行(後の富士銀行。現在のみずほフィナンシャルグループ)を設立。さらに損保会社(現在の損害保険ジャパン)や生保会社(現在の明治安田生命保険)などを次々と設立。安田財閥の礎を築きました。また日比谷公会堂、東大安田講堂を寄付するなど、社会事業にも尽力しています。
ちなみに「安田財閥」は、日本の四大財閥(‎ほかは三菱財閥、‎住友財閥、三井財閥)のひとつ。善次郎の卓越した金銭感覚で、安田財閥の金融資本は他財閥の追随を許さず、日本で最大の規模を誇りました。安田一族からは、あらゆる分野で活躍している(していた)人物が多く、ジョン・レノン(元ビートルズ)の妻で、芸術家、音楽家のオノ・ヨーコさんは、安田善次郎のひ孫にあたります。


明治中期頃には、今のように物件を仲介するほか、不動産業の幅も広がっていったそうです。なお、よく知られている「三井不動産」は昭和16年(1941年)、「住友不動産」は戦後の昭和24年(1949年)の創業になります。







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