時代に応じて変化した日本家屋(建物にもある?「住宅・建築デザインのトレンド」 その2)



一戸建て、集合住宅にかかわらず、日本では様ざまなタイプの建築スタイルが採用されています。大まかに「和風住宅(建築)」と「洋風住宅(建築)」とに分けることができ、前回はこれらをベースにいろいろ構法や意匠が施され、「ブリティッシュスタイル」「アーリーアメリカンスタイル」、「モダンスタイル」といった様式があることをご紹介しました。

年々、多様化する住居ですが、もともとは風雨や外敵などから身を守り、安全に暮らすために作られたもの。やがて時代や環境に適応しつつ内外装を変え、進化を遂げてきたのです。

今回は日本住宅の流れを、もう少し深く追ってみたいと思います。



現代の和風建築のベースは「書院造り」


日本住宅の始まりは、縄文時代から弥生時代、庶民の住処として建てられた「竪穴式住居」です。これは地面に穴を掘り、柱を立てて茅葺の屋根で覆った簡素な建物で、意外にも夏は涼しく、冬は暖かかったといいます。米作をはじめとする農産が盛んになり、定住化が進むと、食料保存や住居に適した「高床倉庫(高床住居・高床建築)」が登場。祭祀にも用いられたことから、後に神社の建築様式のひとつである「神明造」に発展し、また、寝殿造りのルーツにもなりました。

庶民の住まいは、竪穴住居から「平地住居」へと変化していきます。高床倉庫同様、地面に穴を掘って柱を立てる「堀立柱」形式の建物で、この構法は近世まで使われました。

平安時代に入ると、帝や貴族の住む「寝殿造り」という方法を用いた建築物が登場します。これは掘立柱ではなく、地面の上に置いた石の上に柱を立てる「礎石建物」で、6世紀の末に朝鮮半島から伝来。もともと寺院建築用の構法でしたが、次第に宮殿や住宅建築にも採り入れられるようになりました。

武家の時代、室町時代に入ると、「書院造り」という新たな建築様式が現れます。これは畳が敷き詰めた広間を中心に、襖で部屋を区切るように構成されていました。また、今までの寝殿造りにはなかった「床の間」や「飾り棚」をはじめ、「縁側」「障子」などが設けられており、書院造りは現代まで続く、和風建築のルーツともいわれています。



文明開化・富国強兵が生んだ「和洋折衷住宅」


戦国時代末頃(安土桃山)になると、大工や専門の職人が活躍するようになり、城を中心に城下町が成立します。さらに世の中に平和が戻った江戸時代には人口が増加。商人の住居であり店である「町屋」をはじめ、職人や町人たちの住む「棟割長屋」、農村地帯ではカヤ葺き屋根と土壁からできた家屋が建てられるなど、17世紀以降は職種や身分、地域の特色(気候・立地ほか)に応じて日本の民家は多様化していきました。特に江戸の町は「火事と喧嘩は江戸の華」といわれるよう、しばしば大きな火災が発生。それに対して、塗屋造や土蔵造の建築も多く作られるようになりました。

明治維新後、明治政府は海外の列強国に追いつくため、欧米の制度をはじめ知識や文化、科学、教育ほか、様ざまな文化を取り入れます。これが「文明開化」で、日本人の暮らしは大きく変化しました。建築の世界にも西洋の技術や様式が導入され、お雇い外国人(明治政府が近代化政策・殖産興業政策を目的に、欧米の先進国から招いた、行政・産業・教育・医療等、あらゆる分野の専門家。明治年間、3000人前後来日した)の設計施工により、「迎賓館」「鹿鳴館」に代表される、洋館の庁舎や学校、銀行、会社が建てられるようになります。また、貴族や上流階級、政府高官の人たちも、海外から材料や建具などを輸入。応接のための洋館、生活中心の和館の併設、洋間を設けた住宅建築が登場し、紙の障子に代わって、ガラス製の建具も用いられました。

一方、民家や地方においては、「擬洋風建築」と呼ばれる建物が建てられます。これは「洋風に擬えた建物」という意味で、明治初期、日本人の大工や宮大工、左官職人らが伝統的技術を使い、見よう見まねで西洋建築に似せた和洋混交の建築物です(ただし、正式に西洋建築を学んだ人物~たとえば東京駅を設計した建築家・辰野金吾などが設計したものは擬洋風建築から除く)。学校や病院をはじめ、ホテル、銀行、役所などが建てられたようですが、その多くは戦災や災害で失われています。とはいえ、疑似洋風建築は、明治村(明治時代に建てられた貴重な建築物を保管・展示する施設:愛知県犬山市)の「三重県庁舎」「東山梨郡役所」、倉敷市美観地区の中にある「旧倉敷町役場」、「旧倉敷幼稚園園舎」などが残り、現在も見ることができます。

日本古来の木造建築に工夫を重ねて生み出した、世界でも稀有な疑似洋風建築。数々の建物からは、当時の大工、職人さんたちが、高い技術を持っていたことがわかります。なお、都市部の中流階級の人たちは、いわゆる瓦の屋根と縁側のある和室を中心とした木造住宅に住んでいました。部屋の間はふすまで仕切られ、普段は個室、外して大広間にしていたそうです。また、土間にあった台所が板の間に作られるようになるなど、現代にも通じる造りに変わっています。

次回は、昭和初期~現代の住まいと、これから注目されるであろう住宅のトレンドを考えてみたいと思います。






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