昔話や史跡に託された先人たちの生きる知恵





日本には様ざまな昔話や言い伝え、わらべ唄などが伝わり、歴史を刻んだ史跡、資料も数多くあります。前者の中には、単なるおとぎ話や笑い話といったものではなく、その地に起きた事件や災害、それらに対する教訓が込められているなど、別の意味を持つものも少なくありません。また、後世に残された石碑や文献にも、同じようなメッセージが込められています。


普段の生活ではあまり気付きませんが、有事の際、そのことを知っていれば、「被災を避けられた」、また「被害を最小に抑えられた」ということもあるそうです。そこで何気ない昔話や史跡、言い伝えに託された先人たちの知恵を紐解いてみました。



「昔話」にはいろいろなヒントが隠されている?



『まんが日本昔ばなし』は、日本各地の昔話を映像化したアニメーション番組です。スタートは1975年(昭和50年)。わらべ歌風の主題歌、ひとりで何役も演じる市原悦子、常田富士男両氏の温かく素朴な語り口が印象的で、放送が終了した今も、国内のみならず海外でも高い人気を誇っています。内容は心温まる物語、怪談、訓話、笑い話など様ざまですが、その中に「みちびき地蔵」という話があります。これは宮城県気仙沼市に伝わっているお話で、ストーリーは以下の通りです。


むかし、大島村の母親と子どもが農作業の帰り、「みちびき地蔵」の前を通りかかった。このお地蔵様は、翌日に亡くなる人の魂が天国に導いてもらうために、挨拶に来ると伝えられていた。そこに多くの村人や牛馬の姿が現われ、お地蔵さまに挨拶をすると天へと上がっていく。母子は驚いて家に帰り、夫にこの話をするものの取り合ってもらえなかった。
次の日、遠くまで潮が引き、村人が浜辺で潮干狩りをしていると、なかなか潮が満ちてこないことに気がつく。すると突然、津波がやってきて浜辺の村人たちや牛馬を飲み込んでしまった。親子は高台に逃げて無事だったが、母子は「言い伝えは本当だった
と思ったそうだ。なお、みちびき地蔵には今でも花や線香が欠かさずに供えられている。


また、「みちびき地蔵」にまつわる、番組で紹介されたものとは違う内容の話もあるという。


かつて大地震が起こった時、ある人が現われ、戸惑う人を導き、命を助けた。助けられた人々は、その人にお礼をしようと思って行方を探す。しかし、見つけることはできなかったため、人々は「あの人はお地蔵様ではなかったか」と思ったそうだ。


内容は違いますが、これらの話は「明治三陸地震」
とそれが起因した「明治三陸大津波(明治29年。1896年)」を指しているといわれています。なお、「みちびき地蔵」は気仙沼大島に実在し、いつからこの名で呼ばれるようになったかは不明ですが、1770年代に祀られた記録があるそうです。ところが、東日本大震災の折に地蔵堂が全壊、地蔵も流失。その後、有志により地蔵堂は再建されています。現在は新たに作られた木製のみちびき地蔵と石仏、2013年に発見された3体のお地蔵様が祀られており、地元の人や観光客が足を運び、手を合わせているそうです。



石碑が守った村人たちの命



「みちびき地蔵」の話からは、この土地を大きな地震や津波が襲ったこと、津波の前触れ(引いた潮がなかなか満ちてこない)があったことなどを読み取ることができます。さらに「みちびき地蔵」同様、「明治三陸大津波」「昭和三陸津波(昭和8年。1933年)」で壊滅的な被害を被った、宮古・姉吉地区」には、先人の教訓を伝える「大津波記念碑」が立っています。この石碑には、過去に起きた津波の被害状況、そして「高き住居は児孫の和楽」「此処より下に家を建てるな」という一節が書き記されているのです。


姉吉地区の人たちは、昭和三陸津波の後、住民の浄財によって建てられた石碑の教訓を守り続けてきました。そのため、東日本大震災の際、津波は石碑の約70m手前まで迫ったものの、人々は難を逃れることができ、沿岸部で大きな被害を記録した宮古市にあって、この地域では建物被害が1軒もなかったそうです。



「大蛇退治」「竜神伝説」に秘められた土地の記憶



「冒険譚」や「英雄譚」は昔話でお馴染みの人気ジャンルです。これらをベースに、伝奇小説やファンタジーを書く作家も少なくないといいます。その中に、「怪物を退治する話」があります。よく知られているのは出雲神話の「ヤマタノオロチ(八岐大蛇)」でしょう。昔、8つの頭、8つの尾を持つ大蛇ヤマタノオロチが出雲の国で暴れまわっていました。それをおさめるためにクシナダヒメが生贄にされると聞いたスサノオノミコトは、ヤマタノオロチを退治し、ヒメと結ばれるという物語です。


とはいえ、本当に大蛇が実在していたわけではなく、ヤマタノオロチは古くからたびたび洪水を起こしていた斐伊川のことだといわれています。ヤマタノオロチを退治するということは、つまり斐伊川の治水が行われたと考えられるのだそうです。


このような「大蛇退治」や「龍神伝説(龍神に捧げものをすると洪水がおさまるなど)が残る土地には、「川」や「滝」があり、自然災害に見舞われる可能性が高かったのでしょう。近年の災害映像を見ていても、氾濫した川のすさまじい様子を目にした人たちが、大蛇や龍に見立てたのも納得がいきます。先人たちは、そのことを昔話に託し、「ここが危険な土地であること」「住むのなら注意が必要だ」ということを後世に伝えてきたといえます。


自分が家を建てよう、住もうと思っている土地のいわれが気になるのであれば、図書館などで古い地図や郷土資料を調べることができます。ただ、もし不安な土地の可能性があったとしても、必ずしも危険だというわけではありません。というのは、開発や工事によって、改善されているケースが少なくないからです。これらの点を踏まえて、より安全な土地選び、住まい選びを心がけてください。


〇参考資料:政府広報「地名があらわす災害の歴史」
https://www.gov-online.go.jp/cam/bousai2017/city/name.html






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